小さい時の教育というのは、とても大きい。
私のうちは両親とも無宗教で(お墓詣りやお仏壇に手を合わす位はするが)
私とすぐ下の妹は幼稚園がキリスト教の学校で
3歳から教育を受けながら、日曜日には叔父と叔母に連れられ
その幼稚園で日曜学校に12歳まで通った。
気が付くと讃美歌や聖書やクリスマスにと馴染んでて
それを「普通の事」だと思っていた。
13歳になる前洗礼を受けるや受けないやという時にふと、
「私は右の頬をを打たれた時に左の頬を出すか?」と考えたら
それは違うんじゃないかな?と疑問に感じ(思春期という事も重なって)
それきり教会には行かなくなった。
どんな宗教でも、結局の所根源は同じじゃないのか?
なのにどうして宗教をしてる人は、自分が信じる教え以外の宗教を異教徒と思うのか?
同じキリスト教でも沢山枝葉が分かれ映画の題材になったりして
下手すりゃ「宗教戦争」にまで発展して。
今の私は宗教という名のつくものは持ってないけど、
心の在り方には、かなり影響されてると思う。
これは私の持論だけど、甘いのだろうけど「オギャーと生まれた時に悪い人は居ない」と思う。
確かに、今の世の中 そうそう良い人も居ないのが現実だけど、
それでも。
肌の色が違うのはパンと同じで、よく焼けたパンは黒く 黄色があり、白いのもあり
それでも種は全部同じで、元は全部小麦粉
そういう風に教わった。
人が人を裁くのは、そもそも無理があって。
命の重さはみな同じだから死刑には反対の派だ。
「武器には武器」では、いつまでたっても戦争は終わらない。
神が居るとは思わないけど、美しい夕焼けを見たり
生き物の不思議を考えたら、何か大きな力があるのかな?って思わずにはいられない。
なんでこんな事考えたのかと言うと、息子の大学の宿題で「ダビンチ・コード」を観る機会があって
それでキリスト教について考えたから。
それにしても何故、宗教にハマっている日本人の目は独特なのか?
目が据わってる人が多い。
なんだかちょっと怖い。
そう思った夜でした。
おしまい。