高田さんと初めて出会ったのは2年前の事だった。
週に2度彼女の身の回り(主に掃除と買い物)のサービスをする事になり、
私は高田さんと知り合った。
いつものようにまず部屋を見渡すと、本棚には珍しく色んなジャンルの本があり、
私たちはすぐに仲良くなった。
彼女はとても品がよく、とても丁寧な言葉で話される。
どんな事にも感謝して、こっちが泣きたい位可愛い女性だった。
週に2度の時間を高田さんはとても大切にされ
「貴女に見て頂きたくて・・・・」と、自分が作った短歌を恥ずかしそうに見せてくれる。
本来なら、その時間は掃除や買い物の時間なのに、
「私は貴女とお話ししたいから、どうぞ座って。」と言われる。
高田さんは生涯独身で、ずっとお姉さんと暮らして居たのだけれど、
そのお姉さんが亡くなって、自分も脳溢血で倒れて入院していたんだけれど、
そのせいでしょっちゅう転倒するようになり、家事が出来なくなってしまったらしい。
唯一、血の繋がりのある甥っ子さんの頼みで
この介護付きマンションに入ったそうで、とても孤独を感じているとの事だった。
私にとっての「介護」とは、利用者さんの気持ちが一番大事なので、
会社のいうサービスなんてどうでも良かったし、私は亡くなった自分の祖母を重ね合わせてしまって、もう利用者さんという距離は無くなって、肉親のように思っていた。
会社の規則では(介護サービス全般)休日や、休み時間の時間外に、利用者さんの家に行くのは厳禁なのだけど、私は毎日仕事が終わったら顔を出して帰るのが習慣になっていた。
ある日、高田さんは私に押入れから風呂敷包みを出して欲しいと言い
紫の風呂敷を丁寧に開くと、額に入った高田さんの写真が出てきた。
「これを私の遺影に使って欲しいの。」
何も言えない私に
「貴女と最後に出会えて、私は幸せだったのよ。」と、私の震える手を優しく握って
「これを貰ってくれない?」と木彫りの宝石箱と、大切にしていた本を差し出した。
「ありがとう・・・」と言えたかどうか、もう覚えていないけど、
なんとか家に帰って宝石箱を開けると、中にはぎっしり喉飴が入っていた。
いつか高田さんがいなくなる
それは揺るぎようの無い現実で
私はその日が怖くて
それからすぐ、高田さんの具合が悪くなり、私は
本当に、どうしてだか今でも判らないんだけど、その宝箱を捨ててしまった。
それから私は仕事を辞め、入院した高田さんの付添をして
高田さんの最期を看取った。
最後まで、宝箱の事は言えずに。
だけど、もし いつか天国で会えたなら、きっと彼女は笑って
「いいのよ。」といつものように微笑んで許してくれるだろう。
彼女の微笑みは、まるで冬の陽だまりみたいで
そこだけ花が咲いたようにあったかで。
私は私を信じる事が出来なかったけど、
高田さんの言葉を信じる。
私という人間を、確かに必要としてくれたのだから。
私は貴女に出会えて 幸せでした。
天国が素敵な所でありますように。