2017年8月22日火曜日

私の「存在理由」

最近 鬱が酷くて、いや、それとも、無理やり飲んでる鬱の薬の副作用なのか
眠れない夜が続く。

それでも朝が来て、実家の犬が散歩したくて襖の前でキュンキュン鳴いて
一日が始まり、
本当は指一本 動かしたくないんだけども、かろうじて上着を羽織って散歩する。

昼夜逆転の父はこんな時間にトイレに行き、咳きこんでる音が聞こえる。

母はもう 物の名前を忘れてしまい
手をヒラヒラさせて「ほら、アレ! アレ! 持ってない?」と
タバコをねだる

身体のエラさと精神の疲れで 私は最近一人になるとベッドで天井をボーっとみてる。

自分でも「やばいなぁ~。」って自覚はしてても、

14で家を出て 1年前 30年経ってやっと両親の世話が出来るのはとても嬉しい反面、

急速に認知が進む母親を、一体いつまで一緒に居てやれるだりう?


介護は先が見えない、

だから家族で見てはいけない、

でも、私は「今」のこの一瞬 一瞬が大好きな親をとの最後に充てたい。



それがたせめてもの親孝行になるなら
私の寿命を切り崩しても。、

自己満足って解っていても。
私は 母が私を忘れるその日まで。



私にとって親の介護が大切な時間で、それは「失われた幸福な子供」だ。

「美香子に傍に居て欲しい」って言う両親の言葉は自分で感じる唯一の
私にとっての「存在していい理由」だ。

父が寝て 母が起きた。

そんな風にまた今日も一日が始まった。